2010-11-12 第176回国会 衆議院 厚生労働委員会 第4号
六才の私は兄弟たちと安川へ魚とりに行くと、たくさん死んだ魚が浮いて流れていました。それをとっていたら、祖父にその魚をとってはいけないと言われました。 次の場所は、大体このあたりであります。次の証言であります。 ピカーッと目を射るように光線がして、少したってからドカーンと大きな音がして台風ではないかと思うような風が吹きました。
六才の私は兄弟たちと安川へ魚とりに行くと、たくさん死んだ魚が浮いて流れていました。それをとっていたら、祖父にその魚をとってはいけないと言われました。 次の場所は、大体このあたりであります。次の証言であります。 ピカーッと目を射るように光線がして、少したってからドカーンと大きな音がして台風ではないかと思うような風が吹きました。
いずれにしても、大臣、今、少し魚の問題と農業問題について質疑をさせていただきましたが、日本として、あるいは政府としても、自給率の向上問題を取り上げたりしておりまして、一つの目標として、自給率たしか四五%だったかな、そういうものを目標にということで、日本の自給率を高めるというのは大変重要なことでありますし、また今、小泉さんの、いかに先代から苦労しながら魚とりを続けているかということについての伝記的な本
だからこそ、私など魚とりについては素人ですし、その素人の私が考えるには、水産庁さんが今まで一生懸命取り組まれてきたことに関しても敬意を表しておりますし、もちろんその努力が、先ほど水産庁の長官がおっしゃったように、漁獲高が物すごくふえちゃったし、そもそも日本の近海水域での環境の変化ということでなかなか資源回復が図れないというのであれば、こういう昆布海中林などのことをもっともっと積極的に研究をされて、それが
○国務大臣(谷津義男君) 私は、自分のところの先ほど申しました多々良沼というかなり大きな沼なんですが、そこは釣り場としても非常に有名なところなんですが、実は私もそこの漁業組合に参加をしておりまして、会員の一人ですが、一緒に魚とりをやるわけです。かつて、そこはゲンゴロウというフナが相当とれました。
私は、この余笹川というところで実はこんな小さいころから水泳ぎしたり魚とりしたり、非常に懐かしい川なのですね。あんな災害があるなんて夢にも考えられない。百年に一回あるかどうかなのです。五百年かもしれない。そういう状況で、今那須町の財政というのが厳しい状況になっている、大変なのですよ。ですから、それをある日突然行って鉛筆なめて査定して、八掛けだとかと、そんな議論はもう当たらないと思う。
当時の県の教育長から、魚とりの名人の秀才を育てるのだという話を聞きまして、秀才ではありませんでしたけれども、魚とりが大好きだった小さいころを思い出しました。 また、私、実は私立の高校へ行ったのですが、その高校は中高一貫の全寮制の高校でございました。私は、高校から入りまして三年間寮生活を送った者として、すばらしい構想だなということで、もろ手を挙げて賛成したわけであります。
漁師の方は、おれたちは舟をこいで魚とりに行くんだけれども、ひしゃくを使って油を取るなんて真っ平だという声もいっぱい聞きました。大臣もお聞きになったと思うのです。本当に率直なそういう思いを私たちがどういうふうに解決してさしあげるかということが今喫緊の課題だなというふうに思っています。
全然魚とりの方はやっていない、そして死体の捜索だけやっている。 こういうようなところは、漁民が操業のめどが立たないで生活が非常に困っている状態になっております。八森漁協、これは県北部漁協と言うのですが、全船がもう休業状態になって、町全体の経済も非常に困るし、個人も困るし、何ともならない状態になっているのです。こういう状況を御存じだろうと思うのですが、これに対して何か救済の方法がございませんか。
それから漁船が焼けたわけですが、これの共同発注やっていると、購入をするということになっておって、大体船体とモーターぐらいは希望には沿えるような状況になっていると聞いておりますが、それだけでは魚とりはできないわけです。これからはワカメとかいろいろな別のものに向かっていくわけなんです、六月に入りますと。したがって、これに対する対応が今後どういうふうになるのか伺っておきます。
○岩動道行君 それぞれの対策についていま概括的なことは国土庁からも伺ったんですが、たとえば漁船などはたちまち魚とりに行かなきゃならないんですが、どういうふうに対応されますか。
七十という反対の諸君たちは純粋に魚とりの人々で、反対だという意思表示なんです。だから、いまのところ二分の一で、やがていろいろな手だてを講ずれば三分の二になるだろうと思ってあなた方は踏み込みたいかもしれません。踏み込みたいかもしれませんけれども、やはりこれは考えなければならないなということに私はしてほしいと思うのです、しゃにむに進んできたからしゃにむにやるのだということじゃなくて。
一緒についていって、そこで政府の方と相談をしながら、これをけっ飛ばしてしまうか、それとも受諾するかを決めるわけですから、政府が一方的にやってしまうのではないのであって、それは、全然採算が合わないでこんなふうな無理難題を言われるのだったら、われわれはここで魚をとったって赤字になって、とてもじゃないが借金だけ残っていやだ、だから魚とりをやめたと言うならまたそういう話もあるわけです。
魚とりになる人がおりますか。 こういった点について、まずお伺いしたいと存じます。
やはりアメリカへ行っても、ソ連に行っても魚とりは日本の方がソ連よりは上手なんだから、まあ石油でも少し持ってきてくれりゃ幾らでも魚の方は送りましょうというぐらいな性根で、日本の労働者であり漁民である人たちの希望を抱いていくならば、労働者の国をもって唯一の誇りとするソ連の人にも、青嵐会のあんたじゃこわいと思うかしらないけれども、農民の代表としてぴしゃりと行けば、私はそこいらは通ずるものがあるんじゃないかと
あの早川雪洲の出たあたりの館山付近というものは古代神話の宝庫であって、九州の海人族の神話があそこの安房部族の中には残っておって、明治の天才画家の青木繁が「わだつみのいろこの宮」を描いたのも、あの海岸の魅力、それからあの魚とりの凱歌を上げて引き揚げてくる情景並びに海人族の子孫と思われる福田たねのぎらぎらした目、ああいうものに魅力を感じてあの天才的な画家の創造が躍動して、福田蘭童なんかも残したんでしたが
私が申し上げるまでもなく、それはモーターボート自体の衝突とか、そういうようなことももちろん考慮していただかなきやなりませんし、また同時に、海水浴とか、あるいは湖水で泳ぐ人とか、あるいは魚とりとかその他の人たちに対しても相当な危険なりあるいは危害というものも及ぼすと、このようにも想像されますので、現在以上、何といいましょうか、伸びほうだいにいく、ふえほうだいにいくというようなこの傾向に対しては、やはりさらに
それが、もう、機関の実習でありながら、大半は毎日魚とりを手伝わされる。結局、忙しいと、機関の実習生までかり出されるわけですからね。だから、交代で休む時間であっても、忙しくなるとかり出される。そういうような状態になっているわけですよね。そういう点は、いまおっしゃったように、厳重にやってもらいたいと思うんですよ。 それから船の食事についても、非常にまずい、野菜が少ない。
それから実際の実習が最後の一日の一時間しかできなかったというのは、私どもまだそういうところまでは伺っておりませんけれども、これは当然機関科でございますから、機関科の者に――まあ手伝いをさせるようなことがあるかもしれませんが、魚とりばかりやらせるということは、これは改めなければならないことだというふうに考えております。
それから船に乗っても、魚とりばかりやって、機関の実習をしたのは最後の一日の一時間だけやったというんですよ。こういうのは、どうなんですか、文部省の学習指導要領に照らして、機関科の人が魚ばかりとっているというのは、どうなんですか、その点は。
そういう意味で、やはり将来の中小企業というものの位置、それから青写真、そういうものをかいて、あまり、魚がもうかるといったら魚とりに全部なってしまう、繊維がもうかるとなったら、みんな繊維業者になってしまうというのじゃ、どうしようもありませんから、一定規模の場合にはやはり税金を少し高くする。高くすれば、そちらのほうには営業は進まない。少しこちらは安くする。
この間も衆議院でわが党の津川代議士が言っていましたが、青森県あたりは独算制のために水産庁の試験船が全く漁労をやって収入を上げなければ自分たちの部の維持ができない、そこで魚とりばかりやっている、ちっとも漁業の予報をしたり、調査をするという本来の任務から離れた魚とりになっておるという、こんな状態では私はたいへんだと思うのですね。
その二そうがどんなことをしているかというと、県のほうから採算をとらなければいけないというので、独立採算制をしいられて、魚とりをやっているのです。